昭和100年関連特集

令和8年(2026年)は昭和元年(1926年)から満100年にあたります。
「昭和」は、「戦争・復興」、「高度経済成長」とまさに激動の時代であり、損害保険事業においても世の中の流れに合わせる形で大きな変革を遂げました。
昭和100年を迎えるにあたって、損害保険事業の変遷や昭和時代に誕生した「地震保険」、「自賠責保険」についてまとめました。

昭和時代の損害保険関連および世の中の動き

損害保険業界

主な出来事

1927年
(昭和2年)

船舶保険協同会設立

上野・浅草間に
地下鉄開通

1933年
(昭和8年)

財団法人損害保険事業研究所設立

昭和三陸地震発生

1936年
(昭和11年)

航空保険発売

二・二六事件発生
国会議事堂完成

1938年
(昭和13年)

風水害保険発売

国家総動員法公布

1939年
(昭和14年)

改正保険業法公布
大日本聯合火災保険協会を大日本火災保険協会(第2次)に改組

第2次世界大戦勃発

1940年
(昭和15年)

改正保険業法施行
損害保険国営再保険法施行(1945年2月廃止)

杉浦千畝がユダヤ人難民に大量ビザ発給

1941年
(昭和16年)

日本損害保険協会(旧)設立(大日本火災保 険協会、船舶保険協同会等の諸機関を統合) 保険監督行政の所管、商工省から大蔵省へ移管
戦争保険臨時措置法公布(1944年2月廃止)

太平洋戦争勃発

1942年
(昭和17年)

戦争保険臨時措置法施行
損害保険統制会設立(日本損害保険協会(旧)解散)

関門(鉄道)トンネル開通

1943年
(昭和18年)

戦争死亡傷害保険法公布・施行(1945年12月廃止)

東京都誕生(東京都制公布)

1944年
(昭和19年)

戦争保険臨時措置法を廃止し、戦時特殊損害保険法公布・施行(1945年12月廃止)

昭和東南海地震発生

1945年
(昭和20年)

損害保険中央会法公布・施行
損害保険中央会設立(1947年9月解散)
損害保険統制会解散、業務は中央会へ移管

太平洋戦争終結
国際連合成立

1946年
(昭和21年)

日本損害保険協会設立

日本国憲法公布

1948年
(昭和23年)

日本損害保険協会、社団法人に改組
保険募集の取締に関する法律公布・施行
損害保険料率算出団体に関する法律公布・ 施行
損害保険料率算定会設立

福井地震発生

1949年
(昭和24年)

外国保険事業者に関する法律公布・施行

湯川秀樹ノーベル物理学賞

1950年
(昭和25年)

全国損害保険代理業協会連合会設立
日本損害保険協会、国際海上保険連合に加盟

朝鮮戦争勃発

1951年
(昭和26年)

入札保証保険・履行保証保険発売

サンフランシスコ平和条約調印

1952年
(昭和27年)

火災保険代理店格付制度創設・実施

国際通貨基金(IMF)に加盟

1953年
(昭和28年)

賠償責任保険発売

朝鮮戦争休戦協定調印

1955年
(昭和30年)

自動車損害賠償保障法公布・施行同法により自賠責保険審議会(大蔵大臣の諮問機関)発足
自動車損害賠償責任保険発売

原子力基本法公布
一円アルミニウム貨発行

1956年
(昭和31年)

自動車損害賠償責任保険の強制付保実施
日本機械保険連盟設立
機械保険・組立保険発売

国際連合総会、日本の加盟を可決

1957年
(昭和32年)

個人賠償責任保険発売

昭和基地(南極)設立

1958年
(昭和33年)

ゴルファー保険発売
船客傷害賠償責任保険発売

関門(国道)トンネル開通、東京タワー完成

1959年
(昭和34年)

保険審議会(大蔵大臣の諮問機関)発足

伊勢湾台風

1960年
(昭和35年)

日本原子力保険プール設立
原子力施設賠償責任保険発売
原子力輸送賠償責任保険発売
建設工事保険発売

経済審議会、国民所得倍増計画を答申
カラーテレビ放送開始

1961年
(昭和36年)

住宅総合保険発売
動産総合保険発売

NHK連続テレビ小説放送開始

1962年
(昭和37年)

第1回東アジア保険会議、東京で開催
店舗総合保険発売
国内旅行傷害保険発売

キューバ危機

1963年
(昭和38年)

日本船舶保険連盟設立

ケネディ大統領暗殺
黒部ダム完成

1964年
(昭和39年)

自動車保険料率算定会設立
所得税法上に損害保険料控除制度を創設・実施
全国損害保険代理業協会連合会、社団法人に改組
原子力財産保険発売

国鉄、東海道新幹線開業
東京オリンピック開催

1965年
(昭和40年)

日本損害保険協会、相談・苦情処理機関を拡充(損害保険調停委員会・損害保険相談室を設置)

米国、ベトナム戦争に参戦

1966年
(昭和41年)

地震保険に関する法律公布・施行
地震保険発売
原動機付自転車の自賠責保険強制付保実施

ビートルズ来日

1967年
(昭和42年)

交通事故傷害保険発売

第3次中東戦争勃発

1968年
(昭和43年)

長期総合保険発売
団地保険発売
つり保険発売

消費者保護基本法公布
3億円強奪事件発生

1972年
(昭和47年)

第1回日本国際保険学校(ISJ)開校

沖縄、日本に復帰
札幌オリンピック開催

1973年
(昭和48年)

ノンマリン代理店制度実施
ファミリー交通傷害保険発売
土木工事保険発売
住宅火災保険発売

第4次中東戦争勃発
第1次石油危機

1974年
(昭和49年)

所得補償保険発売
保証証券(シュアティ・ボンド)発売
海外旅行傷害保険(独立約款)発売
積立ファミリー交通傷害保険発売

佐藤栄作ノーベル平和賞
長嶋茂雄引退

1975年
(昭和50年)

国際海上保険連合総会、東京で開催
ヨット・モーターボート総合保険発売
コンピュータ総合保険発売

国鉄、山陽新幹線開通
沖縄国際海洋博覧会開催

1976年
(昭和51年)

国際アクチュアリー会議、東京で開催

ロッキード事件

1977年
(昭和52年)

満期戻総合保険発売

北海道有珠山噴火
王貞治756号ホームラン

1979年
(昭和54年)

労働災害総合保険発売

第2次石油危機発生
東京サミット初開催

1980年
(昭和55年)

全国損害保険代理業協会連合会、日本損害保険代理業協会に改組
新ノンマリン代理店制度実施
自転車総合保険発売

イラン・イラク戦争勃発

1981年
(昭和56年)

船舶戦争保険再保険プール設立

スペースシャトル初飛行

1982年
(昭和57年)

第11回東アジア保険会議、東京で開催
学生総合保険発売
費用・利益保険発売
テニス保険発売
家族傷害保険発売

国鉄、東北新幹線開通
国鉄、上越新幹線開通

1983年
(昭和58年)

全都道府県に警察との防犯対策連絡協議会設置
スキー・スケート総合保険発売

三宅島噴火
東京ディズニーランド開園

1984年
(昭和59年)

積立動産総合保険発売

新紙幣発行

1985年
(昭和60年)

国際海上保険連合総会、東京で開催
医療費用保険発売

日本航空123便墜落事故

1986年
(昭和61年)

損害保険ネットワーク稼働
積立普通傷害保険発売
積立家族傷害保険発売

男女雇用機会均等法施行
ソ連チェルノブイリ原子力発電所で原子力事故が発生

1987年
(昭和62年)

こども総合保険発売

JRグループ各社が開業(国鉄の分割・民営化)
日本航空が完全民営化

1988年
(昭和63年)

財形貯蓄の取扱金融機関に参入
財形貯蓄傷害保険発売

青函トンネル開通
瀬戸大橋開通

※日本損害保険協会発行「日本損害保険協会七十年史」「日本損害保険協会百年史」「ファクトブック」を元に日本損害保険協会が作成。

地震保険・自賠責保険の誕生

地震保険

現在の地震保険制度は昭和39年に発生した新潟地震がきっかけとなり創設されたものですが、それ以前より大きな地震が発生するたびに、地震等による災害を補償する地震保険制度の必要性が検討されていました。ここでは創設までの経緯と当時の地震保険の概要等を紹介します。

事象

昭和9年
(1934年)

≪関東大震災と商工省の地震保険制度要綱≫
関東大震災を契機として、政府は損害保険および地震保険の国営化について研究を行ったが、いずれも実施に至らなかった。その後、北丹後地震や北伊豆地震、西埼玉地震などが後発したため、政府は地震保険の実現に向けて検討を急がざるをえなくなり、商工省は地震保険を火災保険契約への強制付帯国営保険とする地震保険制度要綱を作成した。この制度要綱に対し、損害保険業界は、任意保険契約である火災保険に地震保険を強制付帯させることは保険のあるべき姿ではないという立場から反対の意見表明を行い、商工省は法案の国会提出を見合わせた。

昭和19年
(1944年)

≪戦時特殊損害保険法と地震保険≫
住宅建物および家財を保険の対象とする地震保険の誕生は太平洋戦争中のことであった。戦時特殊損害保険法により、戦争保険と結び付けて地震保険も応急政策として実施されたが、戦後に同法が廃止され、地震保険は1億4,000万円余の赤字を残したまま打ち切られた。

昭和24年
(1949年)

≪福井地震と大蔵省の地震保険法案要綱≫
福井地震が発生したことを受け、大蔵省は地震保険法案要綱案を発表したが、損害保険業界から強制付帯制度に対する反対意見が提出されたほか、政府も財政的措置を取ることに難色を示し閣議決定には至らなかった。

昭和38年
(1963年)

≪損害保険業界における地震保険制度の研究≫
保険審議会機構部会で大蔵省から国際協力強化のための体質改善について見解が示され、その中に「担保範囲の拡張と新しい保険の創設」があり、具体的には地震および風水害に関する保険が取り上げられた。これを受けて損害保険協会理事会は、企画委員会に対し地震保険制度の具体化の研究を要請した。企画委員会は地震保険専門委員会を設置して検討に着手し、同専門委員会からの報告書を受理し、地震保険引受要綱案を了承した。損害保険協会理事会は民間保険会社が中心となり、政府が再保険を引き受けることによって可及的速やかに地震保険制度を実施することを確認し、地震保険特別委員会を設置して地震保険制度の具体的検討を進めることとした。

昭和39年
(1964年)

≪新潟地震の発生と義援金≫
日本海側地域の地震としては最大級の新潟地震が発生した。田中角栄大蔵大臣は現地視察の記者会見で地震保険の新設を急ぎたい旨の発言を行い、また、衆議院大蔵委員会は保険業法の一部を改正する法律案を可決するに際し、速やかに地震保険等の制度の確立を根本的に検討する必要があるとする附帯決議を行った。これを受けて、損害保険協会は臨時理事会で、義援金2億円の拠出を決定するとともに、地震保険は民間の資金だけでは実施困難であるから政府の援助を受けてできるだけ早く実施したい旨の確認を行った。

昭和40年
(1965年)

≪家計地震保険に関する保険審議会答申≫
大蔵大臣は第16回保険審議会総会を開催し、不時の地震災害に際して国民の生活安全に資する制度を速やかに確立する必要があるとして、その具体的方策を諮問した。保険審議会は損害保険業界が独自に検討していた地震保険に関する諸資料の説明を受け、第18回総会で地震保険制度の具体案の骨子をまとめ、大蔵大臣に答申した。

昭和41年
(1966年)

≪地震保険に関する法律の制定および日本地震再保険株式会社の設立≫
保険審議会答申に沿った地震保険に関する法律および地震再保険特別会計法が公布・施行され、さらに両方の施行令、地震保険に関する法律施行規則が公布・施行された。保険審議会答申により制度の概要が固まったので、損害保険協会は、種目別地震保険普通保険約款の作成、申込書等の手当て、大規模地震への対応としての共同査定体制の確立、月掛保険種目の月払割増保険料の算出等について検討の結果、これらは全損害保険代表者会議で承認された。これによって、損害保険全社は家計地震保険の営業認可を取得した。また、日本の損害保険全社の出資による日本地震再保険株式会社が設立された。
<地震保険の概要>
(ア)担保される危険は地震・噴火またはこれらによる津波とする。
(イ)てん補される損害は全損(経済的全損)のみとする。
(ウ)保険の目的物は居住の用に供する建物および生活用動産とする。
(エ)引受方法は住宅総合保険および店舗総合保険に自動付帯する。
(オ)保険金額は主契約の保険金額の30%相当額とする。ただし、建物90万円、家財60万円を限度とする。
(カ)保険料率は全国を3地域に区分し、建物の構造を2段階(耐火・非耐火)に区分する。
(キ)再保険機構は、1回の地震等による総支払責任限度額を3,000億円とし、100億円までは民間保険会社の負担、100億円を超え500億円までは政府と民間が5割ずつ負担し、500億円を超え3,000億円までは政府が全額負担する。地震保険については損害保険会社間で各種の共同行為が必要であるとして、かねて損害保険協会の地震保険特別委員会等で、独占禁止法の適用除外を受けるための検討が行われていた。その結果、法律第73号によって保険業法第12条の3第1号に所要の改正が行われ、地震保険契約に関する事業について損害保険会社は共同行為をすることができることになった。

出典:日本損害保険協会発行「日本損害保険協会百年史」

自賠責保険

第2次世界大戦後、我が国の自動車保有台数は大幅に伸びましたが、これに伴い交通事故も激増し、被害者の救済は社会問題となりました。国において自動車事故に伴う損害賠償を制度化する検討が進められ、その結果、全ての自動車に契約を義務付ける強制保険として自賠責保険が創設されました。

事象

昭和28年
(1953年)

≪運輸省案≫
運輸省は1950年頃から自動車事故に伴う損害賠償を制度化する検討を開始し、1952年末には自動車関係団体・損害保険業界・関係官庁および学識経験者を集めて協議会を設置した。第1回会合で運輸省から提示された自動車賠償責任保障制度案は、被害者救済に関する民法の特則を設けること、強制賠償責任保険制度を設けることの2点を柱とするものであった。

昭和29年
(1954年)

≪法案成立に向けての歩み≫
損害保険業界は、約款・保険料率・事業経費などの技術的問題を検討するため、損害保険協会に自動車強制賠償保険専門委員会を設置して具体案の作成を急いだ。運輸省は自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)要綱案を発表した。

昭和30年
(1955年)

≪法案成立と自動車損害賠償責任保険審議会の設置≫
運輸省は、大蔵・法務両省その他の関係官庁および自動車業界・損害保険業界などの意見を調整し、自賠法案が国会に提出された。法案は衆参両院で可決され、法律第97号をもって公布された。自動車損害賠償責任保険審議会(以下「自賠責保険審議会」という)は、自賠法に基づき大蔵省内に設置された。第1回自賠責保険審議会(工藤昭四郎会長)が開催され、大蔵省から法制度、保険約款案・保険料率案など全般にわたる報告・説明が行われた。以後8回にわたって開催され、保険料率・保険約款等について答申がまとめられた。

出典:日本損害保険協会発行「日本損害保険協会百年史」

昭和における日本損害保険協会の歴史

わが国を巡る国際情勢の悪化により自治統制強化の必要が高まり、大日本聯合火災保険協会(1917年設立)と海上保険関係の団体が1941年に統合し、現在の日本損害保険協会の前身として、(旧)日本損害保険協会が設立されました。その後戦争によって、国策としてさらに金融統制の強化が図られたことにより、(旧)日本損害保険協会は解散し、損害保険統制会が設立されました。
損害保険統制会は戦後解散し、戦後の損害保険会社の中心的機構として、日本損害保険協会が改めて設立されました。
その後、日本損害保険協会もまた、「昭和」という激動の時代とともに、形を変えながら損害保険業界に寄与してきたのです。

更新:2026.01.30

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